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コスモポリタンレオクラブ
活動紹介
 2001年 333-Cレオ地区 ネパール派遣の旅

2月7日から11日まで、ヒマラヤ体験とネパールのレオクラブとの交流の旅に、銚子より3人のレオが参加しました。

 銚子中央レオクラブ  入枝ひとみレオ
 銚子コスモポリタンレオクラブ  大木啓嗣レオ
 銚子コスモポリタンレオクラブ  五頭智広レオ

左から大木レオ・入枝レオ・五頭レオ

詳しい旅行報告は333-C地区ホームページをご覧下さい。


ネパール訪問の旅
銚子コスモポリタンレオクラブ
Leo. 大木  啓嗣

 今回初めてレオクラブの海外派遣の旅に参加しました。ネパールはもちろんのこと、海外に行くのは初めてのことなので期待と不安が入り混じったものでした。旅の初日はバンコクに泊まりました。 よく海外に行くとその国の匂いがするといいますが、バンコクではやはり日本と違った空気でした。 まず驚いたのはその暑さ。日本は冬ということもあり、あまり薄着を持って行かなかったので少し困りました。夕食後にパッポンストリートという所に社会勉強しに行きました。屋台の食べ物を買おうとしましたが、お腹の保障はしないと言われたので断念しましたが、その通りでは沢山の店がひしめきあっていて値段も格安でした。タイ式マッサージをやってもらった後に三輪車のタクシーでホテルへと戻りましたが、そのタクシーの運転の荒さにびっくりしました。まるで暴走族です。何回も前輪が浮きました。交通ルールはあるのかという勢いです。

 バンコクを満喫した翌日は、いよいよネパールに入国しました。まずカトマンズでは、市内観光した後でウェルカムパーティーというスケジュールだったのですが、日本とはまったくの別世界でした。まず、信号がありません。交通量は多いし、バイクは割り込んでくるし、これでよく事故がおこらないなあと思い、ガイドの人に聞いてみると「運転手はアイコンタクトをとっている」と言われすごい国だなあと感じました。また何か買おうとする時に値段がついてなく、交渉して決めるということにも驚きました。夜のパーティーでは、式典がちょっと長かったものの、現地の人といろいろなお話しができて良かったです。ネパールの人はとても親しみやすいです。いつも笑顔でいて僕も終始笑顔が絶えることはありませんでした。日本語が上手な人が沢山いて、ほとんど日本語でしゃべっていました。せっかくの自慢の英語(?)も活躍の機会は余りありませんでした。食べ物の方はとにかくスパイシーです。僕は何も知らずに青とうがらし食べてしまい火を吹いてしまいました。

 次ぎの日はポカラへ行きました。ポカラはカトマンズよりものんびりとしています。まるで時間が止まっているような錯覚に陥ります。ここで印象深かったのはデビットフォールという滝です。長さは100mぐらいあるらしいです。日本のような滝ではなく、地中深くに落ちていくので一番下は見えませんでしたが、この滝の由来は昔観光で来ていたデビット夫妻が水浴びしていた時に鉄砲水に流されて落ちてしまったところから来ていると聞きました。この時期ネパールは乾季なので水位はあまりありませんでしたが、雨季になれば2倍になるようです。滝の底を見ようと身を乗り出している人がいましたが、ガイドに「名前を変えないでください!」と注意されていました。 その夜、ポカラのパーティーがあり、民族ダンスを披露してくれました。僕たちも一緒になって踊り、とても友好を深めることができました。言葉ではなく一緒に踊ってコミュニケーションをとれたことは、言葉では言い表せないものがあります。

 翌日はサランコットハイキングに出かけました。頂上からはヒマラヤが見えるということでとても楽しみにしていましたが、あいにく霧が出ていて頂上の一部しか見えませんでした。そしてカトマンズに戻るのですが、飛行機が予定通り出発しません。これはネパールにいてずっとそうでしたが、1~2時間の遅れはあたり前のようです。そのため市内観光やお土産を買う時間が余りありませんでした。その日のさよならパーティーは、いままでの屋外からホテル内で行われました。そこはもともと国王の所有地だったらしく特に庭がとても立派なものでした。食事会の場所も雰囲気があり、どこかの晩餐会のような豪華さでした。ここでも民族ダンスが披露され、気がつくとみんなで踊っていました。ネパールでは地方によって様々なダンスがあるようで3日間で見たものはすべて違っていました。この日のパーティーも大盛況の内に幕を閉じ、これで終わりかと思うと寂しさすら感じました。

 最終日はオプションでマウンテンフライトに行きました。目の前にヒマラヤ山脈が立ち並び、とても見ごたえがあります。コックピットからの撮影が許可されたので、そこでパイロットと一緒に写真も取りました。 また、山脈の反対側はまったく違っていて、その景色は「天空の城ラピュタ」を彷彿とさせるものでした。

 ネパールの3日間はとても楽しいものでした。特にポカラは本当にゆったりとしていて、今度来るときには2~3泊したいです。しかしこのような楽しい思いでだけでなく、ほかに感じたことは日本との経済格差です。まるで日本の戦後のようです。道路はすべて舗装されているわけではなく、崩れかけている家も沢山ありました。日本からは文房具などの援助物資を持って行きましたが、物質面で今後更なる援助をして行くべきだと強く感じました。もちろん、ネパールの人も援助物資を期待するだけではなく、自分たちでもっと経済発展して行くべきだと思いますが、我々日本人がそのサポートをしてあげるのは重要だと思います。

 ネパールの人だけでなく、一緒に行ったレオクラブのメンバーとも知り合いになれました。ハードスケジュールのためお話しする機会が少なかったのですが、よい交流ができたと思います。来年はマレーシアに行くということを耳にしましたので、できればその時も参加して更なる交流を深めていきたいと思います。 銚子中央ライオンズクラブの皆様、ありがとうございました。


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