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1999〜2000年度 ライオン誌
「ベスト・エッセー賞」 銚子中央レオクラブの砂村清史レオが受賞
 ライオン誌日本語版委員会より喜ばしい知らせが届きました。1999〜2000年度のベストエッセイ賞に、当クラブの副会長砂村清史レオが選ばれました。これは2000年2月にカンボジア派遣でプノンペンとアンコールワットを訪ねたときの感想文です。
 以下、受賞の対象となった全文を載せます。
 


カンボジア植樹の旅に参加して
銚子中央レオクラブ 幹事
Leo. 砂村  清史(15歳)

 

 最初、行き先がカンボジアと聞いて僕はカンボジアのイメージが「地雷」とか「内乱」しか湧いてこなかったので、すごく心配でした。が、行って見るとのどかな田園風景がどこまでも続き、この国のどこで戦争があったんだろうという感じでした。 お金はアメリカのドルがハバをきかしてしていて、バンコクやシンガポールのように日本円が通用する国があるのに、なぜカンボジアでは日本円が通用しないんだろうと思いました。

 プノンペンの国際空港は、JR銚子駅よりも小さくて驚いてしまいました。また、何より驚いたのは空港警備のおまわりさんが、自分の警察バッジを1個15ドルで売っていたことです。父に聞いたら、「公務員の給料は月に20ドルで、一家が生活するのには最低150ドルほどかかるからなぁ」と言いました。僕は納得できないけど、無理やり納得しました。

 プノンペンに着いた翌日、僕達は千葉ライオンズクラブが中心になって建てた郊外のバクー小学校へ植樹にいきました。全校の生徒が校門前にならんで僕達を熱烈歓迎してくれました。 校庭の真ん中にテントが張られて、そこにはPTAの役員や先生や村長さんたちがいました。僕らはテントの中で椅子に腰掛けて楽でしたが、子ども達は炎天下の中、式典が終わるまでずっと直立不動で立ったままでした。かわいそうな気がしました。それでもニコニコしている彼らは、えらく辛抱強い民族なんだなと思いました。日本の小学生だったら半分はしゃがみこんでしまったと思います。

 式典のあと、小学生と一緒に校庭の周りにココナッツ椰子の植樹をしました。椰子が一人前に実をつけるまでに15年から20年近くかかるとのことで、小学校の先生は僕達に15年したらまた来てくださいと言っていました。この辺で育つ椰子には2種類あって、砂糖椰子とココナッツ椰子でどちらも農民には恵みの木だそうです。 僕は植樹のようなアクティビティは、金銭ACTよりも将来に夢を持つことができて、いいなと思いました。将来結婚できたら、ここの椰子を見に、カンボジアへハネムーンで来ようと思いました。


   植樹のあと、プノンペン市街にもどりポルポト時代に中学校を刑務所に改造したという記念館に行きました。鉄条網に囲まれた刑務所は、建物全体が拷問所という感じで、ありとあらゆる拷問の器具がこれでもかというほど展示されていました。校庭には、この中学校の教職員の白い墓がたくさん建てられていました。 少しでも教養のある人間は無差別に殺されたそうです。高校以上の学力や知識のある人々を殺してしまって、農民だけで国を運営して行くことが出来ると思ったのでしょうか? ポルポト式の共産主義は本当に恐ろしいと思いました。 父が言うのには、共産主義そのものが悪いんではなく、ちょうどその頃ポルポトをバックアップしていた中国で紅衛兵運動が盛んで、紅衛兵が提唱していた都市の人民を農地に下放する政策を、ポルポトがさらに誤った形で実行してしまった為だということでした。 それにしてもリーダーの誤りではすまない150万人の大虐殺の資料展示は、声も出なくなるほど強烈で、この世の地獄を見た思いでした。この日は、何を食べてもおいしくありませんでした。


 次ぎの日、アンコールワットを訪ねました。広大な土地に寺院がたくさん並び、すべて石づくりで、このような素晴らしい建築物を立てることの出来る民族が、すべてを棄てて都を移して逃げ去ってしまうのが理解できませんでした。 ガバナーが「国が滅んだのは、公共事業をやりすぎて、国民が疲弊してしまったから」だとおっしゃっていましたが、景気対策の為に公共事業を行っている日本は大丈夫なんだろうか?と、一瞬思ってしまいました。  また、ガバナーは12〜13世紀には、「すべての道はアンコールへ続く」と言われたカンボジアの現在の姿を見て、何か感じとってほしいとおっしゃいましたが、僕は日本だってうかうかしてはいられないと思いました。700年前の経済大国が今では最貧国になってしまうこともあるという現実を目の前にして歴史に学ぶべきだと思いました。


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